部活の練習をサボり
先輩から呼び出し。
それでも放課後はバンドの追っかけ

中学では吹奏楽部に所属。しかし、希望していた楽器の担当になれず、練習に身が入らないまま卒業しました。
高校は弓道の強豪校に進学。元々運動部への憧れがあり、「球技は得意ではないけれど、弓道なら私にもできるかも!」と、弓道部に入部しました。
コツを掴むのが早く、あまり練習しなくても大会の成績は良かったんです。しかしそのせいで、どんどん練習をしなくなって……。先輩から呼び出しを受けて叱られるような不真面目な生徒でした。
放課後は、友達とカラオケに行くか、バンドの追っかけばかり。といっても、友達は多くなく、親友が数人いただけでした。
大勢の人と過ごすのが苦手で、休み時間は詩集や小説を読んで、「話しかけないでオーラ」を出していたような青春時代でした。
将来の夢はアル?ナシ?
誰もが幸せを感じる世界に憧れて
ディズニーキャストを夢見る

小学生の頃にディズニーランドで働くキャストの姿を見て、「私もやってみたい!」と思っていました。大人も子供も幸せを感じる世界観に憧れていたんです。
当時、通信教育講座「進研ゼミ」の赤ペン先生に「ディズニーで働きたい」とメッセージを送ったところ、「オリエンタルランド(東京ディズニーリゾートの運営会社)で働くには、英語を勉強した方がよい」というような長文のアドバイスをもらったことを覚えています。
しかし、中高生の頃は宮城から上京するなんて考えられず、その気持ちに蓋をしてしまいました。
ここが人生ハイライト
1か月で大学に行くのを辞め……
そこからディズニーのキャストに!!

なんとなく大学に進学したものの、やりたいことが見つからず、たった1か月で通わなくなりました。
「やっぱりディズニーで働きたい」という思いを捨てられず、親の反対を押し切って上京。父は県庁職員で、母は看護師と、お堅い職業の家庭環境だったので、それに対する反抗心もあったと思います。
上京直後、電車の中でディズニーランドのキャスト募集広告を見て、オリエンタルランドの面接を受けたところ、すぐに採用!小学生の頃に抱いていた夢が、このタイミングで叶いました。
最初はキャストとしてレストランなどで働いていたのですが、その後は人材育成や店舗運営の仕事にも従事。社内の制度を使って途中から社員にステップアップしました。
さらに、ディズニーシーの立ち上げにも携わることに...! 大変やりがいのある仕事でした。
ディズニーシー立ち上げで燃え尽き、
その次は証券会社!?

ディズニーシーの立ち上げが終わると「もうこれ以上、大きなプロジェクトに携わることはないかも」と、仕事の目標を失ってしまいました。いわゆる、燃え尽き症候群ですね。
景気が良くない時代だったので、何か手に職を付けなければと転職活動を開始。ビデオレンタルの会社に就職しつつ、財務や経理、簿記などの勉強をしてファイナンシャルプランナー(FP)の資格を取得しました。そこで経営管理やCFOの秘書を経験しました。
転職先は上場手前の会社だったので、証券会社とのやりとりも多く、「なんだか、金融の世界って面白そう!」と思い始めて。FPの勉強をしていると、お金のことを知っているかいないかで、人生が大きく変わると気づいたんです。その結果、次は野村證券に転職しました。
今振り返っても、私のキャリアはそのときの興味に突き動かされているだけで、一貫性がないんです(笑)。目の前にある好奇心を追いかけていたら、いつのまにか辿り着いたという感じです。
営業成績トップのはずが、
リーマンショックで人生どん底

野村證券では営業職に従事しました。ちょうど株価がうなぎ上りのタイミングで、営業成績はトップに!経済や金融の知識もあまりないのに成果を出せたことで、「人生ちょろいな」と天狗になっていました。私が産休で休んでいた際も、お客さんの資産はどんどん増え、喜ばれていました。
そんななか、2人目の子どもを出産後に、リーマンショック。ただ、当時の私には、これがどれだけ恐ろしい金融危機なのかも分からず、「またすぐ戻るでしょ」という感覚でいたんです。
ところが、お客様の資産はみるみる減り、「あなたのことは信用できない」と次々にお客様は去っていき……。
さらに数年後には東日本大震災も発生し、どんなに手を尽くしても上手くいかない。自分の存在意義を失って、人生どん底でした。
第二の青春がやってきた!
大学院で学ぶ楽しさを知る

人生のどん底を味わったことで、「これまで働けていたのは会社の名前があったからで、自分の実力ではない」と気付きました。
大切なご資産を預けてくださっているお客さまのためにも、「もう一度、しっかり学び直してみよう」と決心。41歳で大学院に入り、MBAを取得しました。
大学院のクラスメートのバックグラウンドはさまざまで、「世の中にはこんなにエキスパートの人がいるんだ!」という驚きもありましたし、年齢や職業経験は違っても、同じ立場で一緒に学べることが新鮮でした。
中学・高校時代は部活も勉強も適当で、大学もサークルに入る前に辞めてしまったので、私にとって、ここは第二の青春。ここで出会った仲間は一生の財産です。
48歳のときに起業し、現在は起業家育成や、インキュベーション施設の立ち上げのアドバイザーなどを行っています。支援している起業家の成長が実感できた時は、とても嬉しいです!
だけど頼れる仲間がいる

学生時代はいつも「自分の居場所はここにない」「ここじゃない」と思いながら生きていたように思います。そして、20代、30代、40代、どの時代も、いつももがいてました。それは今も同じ。
しかし、新しい挑戦を重ねるたびに応援者が増えて、今は、頼れる仲間、信頼できる友人、愛する家族がいます。自分1人でできることは限られていますが、仲間と協力することで乗り越えられることもたくさんあります。
たくさんの経験を経て、ほんの些細なことにも「幸せ」を感じています。
大人になるとお金も時間も自由になります。
自由には責任が伴いますし、経済的な自立も必要です。自由を得るには困難も伴いますが、自分で決めたことをやり遂げる面白さは格別ですよ。
限界だと思うことにも、「そこを少しだけ超えてみよう」という勇気を持ち、自分の人生を切り拓いていってください!