ドイツ生まれアメリカ育ちの帰国子女。
日本と欧米のコミュニケーション文化
の違いを痛感

10代のレキシを教えて!
0歳:ドイツ・ハンブルクで生まれる
6歳:日本へ引っ越し。そもそも自分がドイツ人ではなかったことに驚きました。日本の小学校を受験・合格するも、1学期でアメリカへ。しかしアジア人として差別され……。
12歳:日本へ帰国。アメリカの学校でしていたように授業中に手を挙げると、「手を挙げすぎ。空気を読んで」と先生に言われ「??空気を読むってどういう意味??」と混乱。
14歳:茶道を習う。言葉に出さずとも客人をもてなす気遣いを学び、日本特有の「空気を読む」文化を理解。欧米と日本とのコミュニケーション文化の違いを受け入れたのもこのときです。
18歳:志望大学に合格。人生初の成功体験でした!
学生時代について教えて!
帰国子女であったために日本の小学校では勉強に追いつけず、クラス最下位に。生まれて初めて「バカ」とレッテルが貼られてしまいます。
しかし、それが悔しくて中学に上がる際に猛勉強し、中1のテストでは学年1位を取りました。
ただ、友人関係で悩むことがあり、「どこかのグループに所属しなければいけない」という帰属意識が強かった気がします。
10代の頃、夢はアル?ナシ?
国連で働くことを夢見た時期もありました。
9.11のテロ(2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件)に父親が巻き込まれたことや、自分自身が人種差別を経験したことで、使命感を感じてしまったのかもしれません。
次第に使命感が重荷に感じ、国連で働く夢は消え、そこから30代までは「これだ!」という夢には出会いませんでした。
31歳で見つけた夢「日本に真の
ダイバーシティ(多様性)教育を創造する」
大学時代は?
大学は最高に楽しかったです!
バックパッカーで欧州7か国を周ったり、ドイツに短期留学をし、Oktoberfest(ビール祭り)で大合唱をしながら乾杯したり、世界中に友達ができたりと、ひゃっほーい生活でした!
ファーストキャリアを教えて!
私はこれまで、いろいろなコミュニケーションの壁にチャレンジしてきました。私の人生のテーマは「コミュニケーション」。
したがって、企業理念が「新しいコミュニケーション文化の世界を創造する」であるNTTドコモに入社を決めました。自分にテーマを背負ったことで、なんだか覚悟も決まったのです。
人生のハイライトは?
ターニングポイントは31歳のとき。
当時は教育ICT(情報通信技術)を担当していたのですが、自分の半生を振り返り、娘の将来へ思い馳せた際、「世界各国の文化と触れる機会を作りたい。島国の日本は国境を超えるハードルが高いからこそ、ICTでひょいっと飛び越えていきたい。そして子どもたちには、言語だけではないコミュニケーションの壁も感じながら、日本にある豊かな多様性も理解し、世界に発信してほしい。」真のダイバーシティ(多様性)教育を提供することが、私の新たな夢となりました。
そしてそれを実現するにはNTTドコモの通信がないと解決できない。自分の会社を慈しむとともに、私がやらなければ誰がやる。新しいコミュニケーション文化の世界を、わたしたちが、創造する、と。
社会人の今が青春!
大人になって夢を持つことは面白い
オトナのリアルを教えて!
私のパーパス(目標)は「新しいコミュニケーション文化の世界を創造する」です。パーパスの実現に向け、仲間とともに走り回っています。
仲間には多様なバックグラウンドがあり、自分1人では想像もできない世界へいざなってくれます。
社会人の今の方が、よっぽど青春を謳歌していますね。
ラストメッセージ!
夢は突然降ってくるものではありません。
自分の興味から手繰り寄せて行動した結果、「これが自分の夢だ」と気づくものだと思います。
その時がいつ来るかは全く予想もつきません。でも大人になって夢を持つことは相当面白い。