自分の意志で決めた中学受験。
入学後はおてんば娘だった

中高時代の思い出といえば、まずは中学受験。公⽴の⼩学校に通っていたのですが、探究⼼が強く、勉強をもっと本格的にしてみたいと思ったことと、女子校に憧れがあったことから、中学受験をすることを自分で決めて第一志望の学校に進学しました。
現代は親の希望で受験をする子どもも多いですが、私のときは全て自分で決めて挑戦をしていたので、親の出番なんてありませんでしたね。そのくらい、昔から自分の意志を貫く性格だったんです。
中⾼時代の私は、おてんば娘。通っていた女子校の優等生たちとは一線を画した生徒でした。小学生の時は成績が良いことを理由にいじめられていたので、反抗心が生まれたのだと思います。
せっかく第一希望の学校に入学したものの、ガリガリ勉強するような雰囲気が好きではなく、「勉強だけやっていても、ろくな⼤⼈にならない」と反発。⽂武両道の精神が好きだったので、水泳やバスケットボールに熱中する中高時代でした。
将来の夢はアル?ナシ?
芥川賞作家を目指していたが、
調理の魅力にドハマり

元々は芥川賞作家になりたかったので、芥川賞の受賞者数が⼀番多かった大学の文学部に行きました。しかし大学2年の12月に、所属していたバスケ部を引退したことを機に、パスタ専門店で調理のバイトをしたらどっぷりハマってしまって。社員並みにシフトに入るほど飲食業界の面白さに魅了されたのです。「モノを作る」という意味では作家も料理も同じだと私なりに筋を通し、飲食業界を目指すことにしました。
しかし、周りからは大反対されましたね。当時は今みたいに「みんなが⼤学に⾏って当たり前」という時代ではありませんでしたので、「4年制大学を出てまでする仕事ではない」「ここまで学歴を積んできたのにもったいない」「その道に行ってもいい⼈⽣は送れない」など、いろいろ言われたものです。
ただ、唯一母だけが理解し、応援してくれたことが心の支えとなりました。ですので、周囲からの言葉は全て無視!誰が何と言おうと、私自身は飲食業界の仕事に価値を見出しているので関係ありません。私の人生、他人が責任を取ってくれるわけではないので「自分の道はこれだ!」と、自分の意志を貫き通しました。
反骨精神で切り拓いた
テイスティングの道
大学卒業後はホテルに就職し、イタリアンレストランの調理業務に従事しました。しかし当時は、調理人=男性というイメージが根強く、女性の料理人はものすごくレアキャラだったんです。いろいろ頑張ってみたものの、残念ながら職場内のいじめもあり2年弱で辞めることに……。
自分をいじめた人たちよりももっと上を目指そうー。そんな反骨精神で、レストランを辞めた後は、イタリアン料理と関わりが深いワインの勉強を始めます。ワインのスクールに通いながらサービス業に従事。そのうちにサービス業の仕事でもワインを取り扱うようになり、テイスティングの道が切り拓かれていきました。
ここが人生ハイライト
「日本人は自国の酒を知らない」
の言葉に衝撃を受けた

20代の頃、将来的には国際的に活躍したいという希望を抱いていました。そんななか、あるソムリエの大先輩の言葉に出会いました。
「日本人は自分の国の酒を知らない」
海外のソムリエは⾃国のお酒のことをよく知っているし、誇りを持っている。対して日本人は自国のお酒である日本酒を顧みずに、「やっぱりフランスワインに限る」などと海外のお酒ばかりを評価している、というお話を聞き衝撃を受けました。
これから国際舞台に出ていく際に、⾃国の⽂化を知らないということは恥だ。そう思い、ワインと並行して⽇本酒の勉強も始めました。それぞれの魅力を知りながらも、最終的には日本酒のテイスティングをメインの仕事にすることに。今後の自分の基盤を作るターニングポイントとなりました。
受験支援でキラキラした若者を増やし、
飲食業界の後進を育てたい

現在は、飲食の仕事をすると同時に、教育分野の仕事にも取り組んでいます。10年ほど前に塾講師を兼業し、最近は受験の課題解決支援を目的に一般社団法人を立ち上げました。
教育分野にも足を踏み入れたのは、製菓・カフェの専門学校で非常勤講師をした際の体験がきっかけです。専門学校は20歳前後の学生が多いのですが、元々私がイメージする20歳像は「夢も希望もいっぱい!!」というキラキラしたものだったんです。私がそうでしたから。しかし、実際の学生はとても疲れ切った表情をしていました。
私からしたら「専門学校なのだから自分が好きでやりたくて選んだんじゃないの!?」と思うのですが、「何となく来ちゃった」「ほかにやることないから来ちゃった」みたいな⼦が本当に多かったのです。
専⾨学校⽣の⽬を輝かせるためにはどうしたらよいかと考えたのですが、やはり20歳以前の小学校・中学校・高校の過ごし方によって、「これから楽しい人生が待っている」と思えるかどうかが大きく変わるはずです。
専門学生よりもさらに若い年代の教育に携わっていかなければ、飲食の世界で後進を育てていくことが難しいのではないかと思い、教育を第二の本業としています。
と怖がらなくていい

知らない⽅に私のキャリアをお話すると、「結局、飲食と教育のどっちがしたいの?」と言われることが多いです。
しかし、私のキャリアにとって飲⾷と受験指導は深くつながっています。飲食の仕事は命をかけても続けたいですが、そのためには受験指導の仕事が必要。どちらも⾃分の本業です。多⾓的に活動することによって社会に貢献できる幅も増えるのではないでしょうか。
私が若いころと比べ、現代は「仕事は1人1つ」という時代ではないはずです。1人の人が2つ以上の仕事に対して、それぞれプロとして関わることは珍しくありません。学びにおいても、社会人になってからもう一回学校に入り直したり、同時に2つ以上の学校で学んだりすることだってできます。
1度決めたら一生その道を進まなければいけない、ということは決してありません。この先の人生、進路選択やキャリア選択など選択に迫られる機会があると思いますが、「一生に一度の選択」と重く考えず、「⾛りながら考える」くらいで⼤丈夫だと思っています。
ぜひ夢を持ってほしいです。
夢や目標を持っていないと、いい出会いやチャンスが降ってきても気付くことができません。小さなチャンスに気付くだけで人生は大きく変わります。
そして、親や大人が何と言おうと自分を貫き通す強さを持ってください。