水泳とボートに打ち込んだ青春時代。
一番きつい部活とは知らずに入部

中学までは水泳に打ち込み東京都大会予選まで行きました。高校で慶応大学の附属校に進学してからは、ボート部の活動に打ち込んでいました。
なぜ水泳からボートに移ったかというと、「水」は好きだけど、もっと自由に呼吸ができるスポーツがやりたかったから、というところでしょうか(笑)。なにはともあれ、ボートレースの慶早戦(慶応と早稲田の試合)に青春を注ぎ込んでいました。
昔から、慶應ではラグビー部とボード部が一番きつい部活だと言われていたのですが、そんなことは全く知らないまま入部しました。でも、練習が大変だとは感じませんでしたね。
今もそうですが、困難に直面しても落ち込んだり、悩むことのほとんどない性格でした。
将来の夢はアル?ナシ?
映画に登場する正義の新聞記者に憧れていた

子どもの頃、いろいろな映画を見ているうちに、新聞記者に憧れていました。映画に出てくる新聞記者は大抵、社会を正すかっこいい役回りでしたから。
そして何より、新聞という報道メディアがその当時は最も格調高く、世の中から最も信頼されていたのです。自分が目指すべきは、この仕事しかないと強く信じていました。
マスコミはすべて不合格……
もしかして神様からの妨害か?

ところが、就活でマスコミを志望するもすべて内々定止まりで不合格。いま考えると、神様が妨害したとしか思えません。なぜなら、どこも諸先輩方にとても良くしていただき、推薦までしていただいてましたので。
銀行や証券会社、メーカーなど、10社以上の大手企業から内定はもらっていたものの、そこで働く自分は思い描けずにいました。
そんななか、たまたま、アメリカの旅行関連サービス会社大手の「American Express」(以下、アメックス)が説明会を行なっていたので、面接を受けてみることに。当時はバブル期へと向かう右肩上がりの好景気で、アメリカへの憧れもありましたから、ニューヨークそのものといった社内の雰囲気に「かっこいい……!」とワクワクしたことを覚えています。
すると、面接をしたその日に役員にも気に入っていただき合格となり、トントン拍子で入社することに。
ただ、アメックスへの入社は、大学の仲間や当時付き合っていた彼女からは「外資系なんて大丈夫?すぐクビになるんじゃないの?」と心配されました。
私のキャリアは、
すべてご縁で切り拓かれた

アメックスに入社してからの社会人生活は、自分でも驚くほど人に助けられ、人に導いていただく「ご縁」で道が切り拓かれていきました。
アメックスで広報室マネジャーを務め、10年以上が経った頃のこと。いつか学びたいと願っていたアメリカのビジネススクールに入学すべく猛勉強。無事合格し、 アメリカ・アリゾナ州に留学してMBAを取得しました。
ちょうど留学していたときのことです。アメックス時代の上司がAOLJapan(インターネット企業)の社長に就任。そして「MBAを修得したら、ぜひAOL Japanにマーケティング部長 兼 広報部長として来てほしい」と誘われ、AOL Japanでのキャリアがスタートしました。いざ入社してみると、厳しい予算管理下での経営を求められ、英語で本社役員と戦う毎日でしたが、鍛えられたことでこれまで経験のなかったIT企業独特の働き方とスピードが一気に身に付きました。
さらに、AOL Japanの日々が約2年経過したころ、ヘッドハンターからアップルコンピュータ日本支社(現Apple)の広報部長の職を打診されたのです。
大手アメリカ企業での10年以上の実績、MBA取得、大手アメリカIT企業での経験。ひとつひとつ真面目に人生の駒を進めるうちに、経験してきたことがすべて自分の強みとなり、気がつけばAppleから入社を打診される人材になっていたのです。
ここが人生ハイライト
忘れられない。
スティーブ・ジョブズと過ごした日々

やはり、Appleで働いた日々は、特に多くのことを学ぶ機会となりました。
入社当時、私の直属の上司は、本社の広報部門トップの女性。そのまた上司は、CEOのスティーブ・ジョブズ。全世界の社員数は今の10分の1以下でしたが、社内はこれからの可能性に全員がワクワクしていました。
私がAppleに入社し、上司に告げられた一番最初のミッション、それは「日本におけるApple Store 第1号店のオープン」でした。直接CEOとやりとりすることもあるヒリヒリするような責務を1年半ほどこなすうちに、Apple Store銀座店がオープン。ただ、当時の日本では「スティーブ・ジョブズって誰?」というレベルの知名度でしたので、そこから広報活動に奔走しました。
よく言われることですが、スティーブのみならずAppleの本社の者たちは日本をこよなく愛しているだけでなく、”ものづくり”のクラフトマンシップ”や"細部までおろそかにしない日本人特有の文化"を尊敬しています。 そんな会社で同僚たちと働けたことは、本当に幸せでした。
決して間違いではない

私の人生は、人のご縁に支えられた人生です。
マスコミに落ち、たまたまアメックスという外資系に出会った結果、気づいたら今ここにいました。もしあのとき、ジャーナリストの道に進んでいたら、この人生はなかったでしょう。
仲間たちに「外資系なんて大丈夫かよ?」と言われてから40年以上が経過。あの頃の仲間からは今、「お前は正しい選択をしたな」と言われています。
人生、自分が思い描いた通りに進むとは限りません。しかし、もし行きたいところに行けなかったとしても、それは間違いではなく、正しい道を進んでいる最中なのだと信じてほしいです。
「これだけは誰にも負けない」という好きなことや得意な分野を持っていると、将来必ずそれが活きるときがきます。
ちなみに私はチャップリンが大好きなのですが、それがきっかけで新聞の書評を書く機会を得ました。
絶対後につながるので、ぜひ自分の「好き」を極めてください!