人生のホンネ図鑑
山本 将裕
Yamamoto Masahiro

山本 将裕

株式会社RePlayce 代表取締役
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誰かのためになる「究極の自由」を求めて生きていく

株式会社RePlayce代表。現在は、中高生が自分の強みや将来の進路を探求する支援をするサービスなど教育系の事業を運営しています。

でも実は?

中高生の時は勉強が嫌いで、試験は赤点ギリギリ。高3の時には、偏差値30まで落ち込んでしまい……

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レキシ
vol.1
〜中学・高校時代編〜

ライバルが少ない場所で戦った
大学受験

中高時代は勉強が嫌いで、中学受験が終わってからは本当に勉強をしなくなってしまいました。そうするうちに高3の時には偏差値が30まで落ち込み、「これはまずいな…」と、ようやく焦り始め……。

幸運にも、「どうしたら効率良くできるか」を考えることが得意だったので、大学受験の時はライバルが少ない科目を勉強して入れる大学を探していました。例えば社会科目なら、日本史とか世界史ではなくて、政治経済を選んでましたね。勉強している人が少ないから、偏差値が上がりやすいんです。

このときの経験で学んだことは、「ライバルが少ない場所で勝負するために、ユニークであること」。周りと同じことをするよりも、人と違うことを選んだ方が、少ない労力でしっかり結果を出せると実感しました。

その結果、浪人時代を経ながらも中央大学に合格し、晴れて大学生活をスタートさせることができました。

10代のホンネ!
将来の夢はアル?ナシ?

未来への自分に宛てたメッセージは
「健康」の一言

小中高を通して夢は特になく、ただ楽しいことをしたいという気持ちだけはありました。

実は2年前、中3の時に書いた「未来の自分への手紙」が届いたんです。何が書いてあるんだろうと楽しみにしながら開けると、そこに書かれていたのは「健康に気をつけてください」という一言。同級生のみんなは2枚分びっしり書いていたようで、たぶん、自分はその時間寝ていたんだと思います。

そんな、学校行事などにも無気力な学生でした(笑)

実際の手紙
ぶっちゃけ オトナの失敗バナシ

自分で志望校を選ばなかったこと
を後悔している

中学受験の際、自分で志望校を選ばなかったことを今でも後悔しています。

親の勧めで進学した仏教系の学校は、校則がとても厳しく、理不尽に感じるルールも多い環境でした。自由でいたい気持ちが強い自分にとって、その学校との相性は正直良くなかったのだと思います。

しかし、そういった環境だったからこそ、強い反骨心を持つように。「なぜそんなルールがあるのか」「どうして自由にしてはいけないのか」といった疑問が、だんだんと反骨心に変わっていきました。

今振り返ると、その反発する気持ちが、自分を動かすエネルギーになっていたと思います。

レキシ
vol.2
~社会人デビュー編~

東日本大震災に直面し、
人生の真剣度が変わった

ファーストキャリアは、社会貢献度の高そうな仕事をしようと思って、NTT東日本に入社しました。配属先は宮城県石巻市。入社からわずか4か月後に東日本大震災に直面しました。

津波に飲まれかけ、閉じ込められた社屋で思ったことは「自分はまだ何も成し遂げていない」。あの瞬間から、人生に対する真剣さが変わりました。それ以降は「誰かのために働く」を軸に、狂ったように仕事をし、狂ったように遊びながら、自分らしい働き方を模索していきました。

自分のために何かをするって、明確に夢とか目標がなかったら結構辛いじゃないですか。 対して、誰かのためにやると、誰か喜んでくれます。「仕事とは誰かのためにするもの」という考え方も1つあるんだろうなと思います。

Look!
ここが人生ハイライト

ヒッチハイク旅が教えてくれた
「人の優しさ」と「働く意味」

人生のターニングポイントは大学4年生の卒業旅行ですね。

お金がなかった僕は、友人とヒッチハイクで東京から大阪までの旅に出ました。たくさんの人と出会い、トラック運転手、コンビニの弁当工場勤務の人、看護師、時には社長業の方も車に乗せてくれました。

様々なバックグラウンドを持つ大人たちの話を聞くなかで共通していたのは「自分の仕事に誇りを持っていること」でした。特に水飴を運ぶトラック運転手の「これがジュースになってるんだよ。お前らが飲んでるやつな」という言葉には痺れましたね。

仕事って、“人に誇れるもの”なんだなと初めて感じた瞬間でした。

レキシ
vol.3
~現在のリアル編~

「自分のための自由」より
「誰かのためになる自由」

学生時代の自由はどこかむなしくて、「自分のためだけの自由」だなあと感じていました。でも社会人になると、自分の行動が誰かにいい影響を与えられて「誰かのためになる自由」になるんですよね。それがすごく楽しいなと思います。

「大学生活は人生の夏休み」なんて言う人もいます。社会に出たら自由がなくなると思われがちなのは、「会社に入ったら上司の指示に従わなければいけない」といった、学校教育で刷り込まれた先入観なのではないでしょうか。

実際は、社会人になっても自分次第で自由に働けるし、生き方だってもっと柔軟に選べます。むしろ、そうやって自分で選んで動ける社会人の方が、誰かのためにもなって面白いです。

人生のホンネ語録
これからも「自由」を
求め続けていく

自由。これに尽きると思いますね。中高時代はかなり厳格で抑圧されていたので、学生時代からずっと自由を求めてたんだなと感じます。特に社会人は、経済的にも自立しているから完全に自由なんです!

今は、世のため人のためになる自由を求め続けながら生きて、起業しています。自分で考えたことが実現できるというのが、究極の自由というか、人生生きてて一番面白いことだと思っています。自分で事業をしていると大きな責任を伴うこともありますが、その責任があるからこそ、誰かのためになっているなと実感できるのです。

ラストメッセージ!

夢がまだなくても大丈夫。

知らない世界は、そもそも選びようがないからこそ、興味のあることに飛び出していくって本当に大事!

気になることは全部やってみるくらいの気持ちで、欲張りなくらいの道を選んでみてほしいです。

PROFILE
山本 将裕
株式会社RePlayce 代表取締役
1986年生まれ。私立男子校出身。中央大学経済学部卒業。新卒でNTT東日本に入社。2024年にNTTドコモから社内起業し、株式会社RePlayce を立ち上げ代表取締役として、中高生向けのキャリア探究サービス「はたらく部」「HR高等学院」など教育に関する事業を多数展開している。iU情報経営イノベーション専門職大学客員准教授も務める。
MBTIはENFP。
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