低空飛行の人生を変えてくれた、
変わり者の恩師との出会い

中学時代は色々と反抗していましたね。学校の勉強にも全く興味がわかず、提出物も宿題もノー提出なので、成績はオール2。塾に通っても、教室を抜け出して外で雪合戦をして、先生の車を雪で埋めてキャッキャ言っているような学生でした。
同時に、友達が一夜にして消滅したり、どのグループにも属せなかったりと、人間関係でしんどい時期でもありました。
高校に入っても、勉強も部活もサボり、何にもやりがいを見出せない毎日。そんななか、1人の先生が赴任してきたんです。その人は、元プロボクサーで元新聞記者という、異色の経歴を持った変わり者でした。全てにおいて本気の人で、いつも「社会を知れ!」「プロフェッショナルになれ!」と言っていました。
学年の95%に嫌われていたと言っても過言ではない異質な先生でしたが、その先生との出会いで僕の目は少し覚めました。模擬裁判コンテストに出たり、体育祭の団長をしたりと、いろいろなことに挑戦するような学生へと変わりましたね。それまでずっと低空飛行だった自分に、変わるきっかけを与えてくれた恩師です。
将来の夢はアル?ナシ?
恩師に憧れ、出会った人の人生の角度を
上げられる人になりたかった

中学の時は、マジで何にもなかったです。
しいて言うなら「近所のヤンマーの工場で働きたい」と思っていました。親や学校が厳しく、とにかく「自由になりたい」という思いしかなかったんです。
タイムカプセルで「将来の夢」を書いて埋めるイベントでは、「ロックスターか教師か弁護士になる。以上」と書いて出したのをハッキリと覚えています。それも本気で目指してたわけじゃなくて、とにかく何もなかった。
でも、高校生で恩師に出会ってからは、教師への道を志すようになりましたね。高校時代の恩師のように、出会った人の人生の角度を少しでも上向きにできる人になりたいと思っていました。
留年の危機を救った
「名前が上手に書けてるから+4点」

高校は進学校でしたが、全然勉強をしないまま、まぐれで入ってしまったので、テストは学年最下位でした(勉強をする気も1mmもありませんでした)。ただ、4つ赤点がつくと留年になるテストで、3つ赤点がついたときには、さすがにヤバイと思いました(笑)。
しかし、 一番退屈で授業も一切聞いてなかった化学の先生が、「君は名前が上手に書けてるから+4点。」と温情で加点してくれて。奇跡的に留年を免れました。生意気だったのでたくさんの大人や学校の先生から疎まれてきましたが、そんなふうに、自分に目をかけて救ってくれる人たちとの出会いが運良くありました。
あとは、大学3年の時に就職活動をしましたが、迷走してお坊さんに弟子入りしたり、スマブラをしたりしているうちに、エントリーシートの提出期限がほぼ終わっていました。社会人になるのが嫌すぎて、就職活動目前でイギリスに逃亡した経験もあります(笑)。
ここが人生ハイライト
教育実習で日本の教育に絶望。
いつか絶対見返してやる

大学時代に行った教育実習での出来事が、人生のターニングポイントになりました。
日誌を確認しているとき、いつも授業中寝てる子が、ニュースの批評を熱心に書いてたのを見たんです。僕はこの子に興味を感じて、どんな子なのか知ろうと、担任の先生に話をしに行きました。
その先生は学年主任で、他の先生や保護者からの信頼も厚く、いわゆる絵に描いたような「いい先生」。そんな先生が、その子の名前を聞いた瞬間に全く悪気なく「あいつ、子どもらしくないんよね。なんとかならんかなぁ?」と、一言その言葉を聞いて、人生で初めて、雷に打たれたような衝撃を受けました。なぜかはわからないけど、自然と涙がポロポロ出てきて、泣き崩れました。
きっと、その先生が悪い人ではなくて「いい人」だったことがショックだったんです。その先生に原因があるならその人に責任を問えばいい。でも、周りからも信頼されている「いい先生」が、明らかな子供の可能性に気付けず、無知故にその芽を潰してしまう。
自分が幼少期から感じてきた「学校」への違和感や、今のこの日本社会の教育現場で起きている構造的な問題が一瞬で線になって繋がって、理解できた感覚がありました。でも、それはめちゃくちゃに大きな壁。自分一人でなんとかすることなんてできるはずもない。
教師になろうと思っていた自分は「今教師になっても何もできない」と、無力感に苛まれて教師への道を一度諦めました。実習先の指導教員とも大ゲンカし、大学の教職課程の卒業論文では「いかに今の教育界が終わっているか」を叩きつけて、最低評価で教職課程を終え、民間企業であるNTTドコモに就職することとなりました。
6年間眠っていた夢への情熱が再燃

NTTドコモに入ってからも僕の低空飛行人生は続きました。元々ADHD気質だったこともあり、周りと同じように仕事ができなかったり、上下関係も苦手だったので組織の中で働くことにもしんどさを感じていました。
入社して6年が過ぎ、なんとなく過ごす日常生活。教育に対する想いもすっかり忘れて、「何もできない大企業社員」としての人生を歩んでいた自分に、大きな転機が訪れます。それは「docomo academy」という、変革人材育成のための社内大学の入学募集。
なんの自信もなく、告知をみた時も「自分なんか」と思っていましたが、先輩の誘いで一緒に応募したところ、何の因果か自分だけが入学することになりました。そこで出会ったのが「docomo academy」学長の山本将裕(もっつ)さん(=現 RePlayce CEO)です。
「自分は何がやりたいのか」「何で世の中に価値を生み出すのか」改めて自分の半生を全て書き出し、振り返り、徹底的に考えた時に最後に残ったのが「教育を変えたい」ということでした。こんなに大事なことなのに、6年間忘れていたことに驚きました。
僕は、学校教育の現場を、人の可能性を「潰す場所」じゃなくて、「広げる場所」にしたい。学校なんてなくても、より広い世界や面白い大人たちと出会い、若い人が自分の可能性をどんどん広げていける世界を創りたい。
そう思い、もっつさんと一緒に「はたらく部」の立ち上げに携わったことが、今の自分の全てのきっかけになっています。
超エンジョイしている人に、
学生も社会人も関係ない

今はめーーっちゃ楽しいです!!!社会人になったら自分の世界が格段に広がります。生活も、仕事も、工夫次第でどんどん面白く、やりたいことだって何にでも挑戦できます。
「学生のうちは」「大人になったら」とか思うかもしれませんが、学生だろうと社会人だろうと、実はどっちにも、超エンジョイしてる人もいれば、つまらなさそうにしている人もいます。その違いは「自分の思う道を、主体的に歩めているか否か」これははっきり言えます。
小さいことでもいいので、コスパとかタイパとか考えずに、興味があることにたくさん触れてみてほしいです。それを意識していれば、自然と自分が充実した人生を歩むための道が見えてくるのではないかなと思います。
出会った人の「人生の角度」
を上げること

僕は、出会った人の「人生の角度」を少しでも上げることが、自分のミッションだと思っています。たくさんの人と対話をする中で、自分が少し本腰を入れてその人のありたい姿をともに考えたり、「心の枷(かせ)」を外すお手伝いをすることが、その人の人生を良くすることに繋がるのだと知りました。
自分のの人生の時間は会議をしていても、資料をつくっていても、ご飯を食べていても、遊んでいても1時間たちますが、その1時間を使って、人と向き合うことが一番世の中に対して自分が価値を生み出せることだな。と思うのです。
これまで本当に多くの社会人、学生の方々と対話をしてきましたが、みんなこれまで日本社会で生きてきて無意識に背負わされている「心の枷(かせ)」を外せば、どんどん自分のやりたいことに挑戦して、自分の道を創っていけると信じています。
でも、それって一人では難しくて、人と本気で向き合ってくれる人の存在が必要なのです。なので、僕は自分がたくさんの人の可能性を広げる支援をして、その人たちがまた次の人たちを支援する。そんな風にして、この社会がもっと多くの人にとって生きやすく、充実したものになればいいなと想っています。
学生のときって「今いる世界がすべて」と思いがちです。でも、世の中は実はとっても広い。みなさん一人一人が「輝ける世界」と出会えます。
置かれた場所で咲く必要なんてなくて、自分の咲きたい場所を自分で選んだほうが、人生はもっと楽しくなる。
何か相談があればいつでも連絡してください!一緒に考えます〜!